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ソウル在住の日本人が旅行,飛行機,くるま,鉄道,韓国生活について書いております。

【カナダ】フォード・エスケープでドライブしたプリンス・アルバート国立公園

サスカチュワン州の航空ショーを訪れた際、折角なので同州のプリンス・アルバート国立公園をドライブがてら巡ってみました。

Prince Albert National Park/プリンス・アルバート国立公園

サスカトゥーンの北約250kmの丘陵地帯に湖が点在しているエリアに位置します。


ドライブのお供はRAV4やCR-Vのライバル的なクラスのフォード・エスケープでした。


ハイウェイ11号を北へ向かいます。カナダのハイウェイ制限速度は120km、マイルではなくキロメートル表示です。アメリカ同様にパトカーがあちこちでネズミ捕りをやっているのでクルコンをセットして淡々と走ります。


幹線から国立公園に通じる州道へ。北海道のような甘美な道だな。


ここからNational Parkの看板。


木立越しに湖が見えたので脇道に入ってみます。





道東の阿寒湖あたりのような雰囲気の道を北に走ります。


また湖が見えたので降りてみると釣り人に遭遇。当時の旅行日記には「トラウトやパイクが釣れると言っていた」と書いていました。



鹿にも遭遇しながら更にドライブを楽しみます。


国立公園の中心、Lake Waskesiu。因みに、グーグルマップのカタカナ表記は”ワスクサイウ”湖と出ていますが”ワスキスー”が近いみたいです。

空に写っているのはトンボの大群。


この周辺はちょっとドン引きしてしまうぐらいトンボと蚊が多かった。



夕方、クルマはこんなことになっておりました...



虫の大群ポイントを脱出して湖のビジターセンターなどがある湖畔へ。


ここでコーラとソーセージドッグっぽいもので昼食。


絶好のツーリング日和、久々にバイク乗りたいなぁ。


ここの湖畔は本当に美しかった。



何故か熱く抱擁する二人。


ま、幸せになってちょ。


引き続き甘美な道の所々で車を停たり写真を撮ったりしながらのドライブ、贅沢な時間です。






サスカトゥーンに戻る道すがら、ハイウェイを外れて牧場やプレーリーを抜ける州道に入ってみます。





州道といっても砂利のダートで、スピードを出すと跳ね上げた砂利でバチバチと騒音が凄く、80キロぐらいが限界でした。

レンタカーはフォード・エスケープ

ステアリングやブレーキの感触が鋭過ぎず鈍過ぎずというフォード中堅モデルの美点はこのクルマでも健在。乗り心地、ボディーの剛性感と作りも良くて申し分の無いドライブの相棒でした。


フォードは日本市場から撤退してしまいましたが、この年2017年はグローバルで60万台以上売れた基幹車種でした。



2リッターのエコブーストエンジンもスズキのGSX系油冷にも通じる(やや極端に例えるとですが)フォード実用エンジンらしい骨太なフィーリング。少し踏み込むとゴリゴリと押し出す感覚があります。

ただ、渋滞は皆無のハイウェイや穏やかな丘を抜ける道を走った結果が10km/Lに届かない燃費はいただけません。

燃費ともかく、返却するときに寂しさを感じる愛すべきクルマでした。

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【群馬】『伊香保 おもちゃと人形自動車博物館』訪問記(後編)自動車の展示編

「おもちゃと人形自動車博物館」訪問記、後編はクルマ関係の展示です。

360cc時代の軽自動車

この時代の軽って今の感覚で見ると笑っちゃうぐらい小さいですね。今の660ccの軽と寸法を全長×全幅×高さで比較すると...

  • 360cc:3,000×1,300×2,000mm
  • 660cc:3,400×1,480×2,000mm

...今も昔も、限られたサイズの中で個性的なデザインを、その上、現代では衝突安全や環境性能も実現しているのが凄い。

スバル

てんとうむし360とレックス。その右にはR2もあったのですが撮り忘れました。


スズキ

丸みを帯びたデザインが素敵なフロンテ。

ダイハツ

ミゼット、フェローとそのピックアップ、立派なグリルのフェローマックス。




ホンダ

N360、Z、バモス。



三菱

ミニカセダン。

壁際の展示でセダンのリアの写真を上手く撮れなかったためWikipedia Creative Commonsより写真を拝借。短いながら当時流行のテールフィンを頑張って取り入れているのが何とも微笑ましい。


こちらはピックアック。

マツダ

キャロルは2台展示されていました。


特にこちらのブルーグレーの個体は...

この状態からレストアされたそうで、情熱と執念に頭が下がります。


B360の積み荷はナショナルの白黒テレビ。


その後継のポーター。


RE雨宮の12Aスペシャルで後年爪痕を残したシャンテ。

ミニミュージアム

360時代の軽を見た後だとオリジナルミニが大きく感じます。


日本の360cc軽よりも短いオープンがいますな。


と思ったら、更に短いのもあって笑えます。これ、運転は元々のリアシートに座ってするんだろうな。


と、笑ってたらこんな勇ましい一台も。


フォルムを観察したいマーコスは下段に展示して欲しかった。

藤原とうふ店

「頭文字D」の藤原豆腐店のモデルとなったのが当館と同じ渋川市にあった「藤野屋豆腐店」。映画版でも看板を「藤原」に変えて撮影し、その後もそのまま営業を続けたものの2006年に閉店。その看板などの実物を譲り受けた店先が再現されています。



作者のしげの秀一氏が初代オーナーだったFD・RX-7の実車。


ミュージアムショップの関連グッズ。

昭和のファミリーカー

頭文字Dと同じ2階は昭和のファミリーカーのエリアでした。

トヨタ

特に初期型は意匠や装備が質素過ぎて商業的には成功しなかった初代パブリカ。


その反省を活かし、オーナーの所有欲も意識してデザインされた初代カローラ。


2代目コロナ。


これはレアなピックアップ仕様の3代目コロナ。


3年半しか生産されなかったので印象が薄い4代目コロナ。


初代コロナ・マークII。

マークIIは80年代の4代目まで「コロナ」のサブネームが付いていました。


2代目マークII。これと同じ色の4ドアに伯父が乗っていた記憶があります。


1964年登場の2代目クラウン。私が生まれる前、新しい物好きのうちの父がこれのAT・トヨグライド2速(笑)に乗っていたのですが「とにかく走らんかった」と言っていました。ってか親父、試乗しなかったのだろうか?

日産

戦前のダットサンから始まってブルーバードやサニー。

「プラス100ccの余裕」や「隣の車が小さく見えます」などとカローラとバトルしていた頃のサニー。


縦目4灯の初代セドリック。


端正なデザインが素晴らしい初代ローレル。エンジンは旧プリンス系のG型を積んでいます。


旧プリンスのG型と言えば2代目スカイライン。


2ドアハードトップ1500ccのハコスカ。

GT-Rは各地の博物館で展示されていますが、こういったベーシックな仕様の所蔵車はむしろ珍しいんじゃないかな。

ホンダ,三菱,日野,ダイハツ

空冷強制冷却の問題作1300クーペと、いかにもタフそうなコルト・ギャラン。

イタリアンデザインが共通項のコンテッサとコンパーノ・ベルリーナ。

ニッポンのスポーツカー

館内順路の最後は昭和の国産スポーツカー。


トヨタ

日本の自動車博物館では欠かせない2000GT。


弟分(?)のスポーツ800。

日産

博物館オーナーの横田さんは日産党なのかな。特にスポーツ系は日産車の展示が充実しています。ハコスカとケンメリGT-R。



そして同じS20エンジンを積むZ432。



初度登録は昭和46年2月、当然ながら原動機の形式はS20とあります。



フェアレディ系はZになる前の初代と2代目、写真を撮り漏らしましたがレース仕様以外で240Zも展示されていました。


ブルーバードSSSとL18ツインキャブエンジン。


後方視界はどんな感じなのか、リアのデザイン超個性的なチェリー・クーペ。

ホンダ,三菱,いすゞ,他

エスハチ、コンパーノ・スパイダー

ベレG、ギャランGTO MR

場所が隅っこで見辛かったコスモスポーツetc.

屋外展示

ミゼットは三丁目の夕日に登場した実車なのだそう。

余談...来館者もアツかった

駆け足に2時間弱で見終えて駐車場に向かうと、やはり「濃い」車達と遭遇。2代目インテグラ・タイプR。約20年落ちとは思えないコンディションにオーナーの愛情を感じます。


更に、我々のヤリス号の隣に停まっていたのはポルシェ928風リトラにカスタマイズされたFC・RX-7。展示内容に負けず来館者も濃い、伊香保おもちゃと人形自動車博物館でありました。

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【群馬】『伊香保 おもちゃと人形自動車博物館』訪問記(前編)テディベア,昭和レトロ,平成のガジェット

家族で伊香保温泉に一泊した翌朝、折角ここまで来たら施設博物館としては入館者数日本一を誇るという「おもちゃと人形自動車博物館」は外せません。今編は懐かし系やテディベアなど、自動車以外の展示の記録です。自動車系は次編に続きます。

頭文字Dの藤原豆腐店の前で愛車と記念写真を撮ることができます。我々が入館した際にAE86のグループが愛車を並べている光景に遭遇。希望すれば「藤原とうふ店」や「自家用」のマグネットステッカーも貸してくれるという遊び心が嬉しい。館内にはモデルになった藤野屋豆腐店の本物の玄関を使って再現したコーナーがあります。

www.ikaho-omocha.jp

キューピーを渡されながら入館

9時半頃に到着、開館は9:00ですが既に日曜日とあってか駐車場は既に半分程埋まっていました。

 

入館するとマップとキューピー人形を渡されます。


ここで射出成型していると思しきこのキューピー、順路の最後で絵付け体験できます。

テディベアコレクション

順路はテディベアのコレクションから始まります。

ユーロ導入の記念ですね。

ブランド系とか...

車も博物館のテーマだけあって、それ系も多数ありますね。

昭和レトロな横丁

テディベアから一転、ホーロー看板が飾られた階段を「昭和通り」というエリアに降ります。









今見ると結構不気味な月光仮面。


ここでも夥しい数の人形コレクションが展示されています。

私の世代だとロボコンは幼少期にリアルタイム、「オバQは再放送だったなあ」といった風に幅広い世代が懐かしむことができるのがこの博物館が人気を集める理由の一つでしょう。

各都道府県の伝統人形。

ブリキの車にジャガー・420Gがあるのが渋い。

昭和のスター

娘(20代)が「えー、この人、昔はこんなに可愛かったの!」などと盛り上がっていたのがこのエリア。




変わらない郷ひろみと、時代に合わせて進化(?)を遂げてきた松田聖子は凄い。


平成ミュージアム


CG誌は10年程前まで毎月購読していたし、ZXRやゼファー、S13シルビアはまさにリアルタイム、この辺りが私の青春であります。


私の初ケータイはパナのP101、キャリアーは関西セルラーでした。


そして私の初デジカメは右に写っているレンズ回転式で200万画素のソニー・サイバーショット。16MB(ギガではなくメガ)が8千円近くした記憶があります。



>クルマ編に続きます。

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【韓国バイク事情】謎の125ccレトロバイク「EROE MOTO 125」と「BUCCANEER」

ソウルの街角で見掛けたレトロスタイルのバイク。タンクには見たことのない”EROE MOTO”のエンブレムが誇らしげに入っています。中々スタイリッシュなので調べてみました。


まだオドメーターは767キロの新車なのに埃多め、タンクには既に小傷が... もうちょっと大事にしてやってちょ...


レトロ系ながらフロントフォークは倒立、リアサスもリザーバータンク付き、ブレーキは前後ディスクと足回りは本格的。


キャブトンタイプのマフラーや楕円形のブレーキランプなど、ツボを押さえた作りです。


車名は勇ましくファントム。

EROE MOTO

ググってみたところすぐに公式サイトがヒットしました。

http://eroemoto.com/

サイトの言語は韓国語のみ、住所はソウル市中区の退渓路(五壮洞)という中小のバイクショップが集まる、昔の上野バイク屋街的なエリアにある普通のショップで、この店が企画して輸入販売しているようです。

車名(社名?)のEROEですが、ハングルで「엘로이」書いているので発音は「エロイ」、日本市場は視野に無いネーミングですな 。意味はラテン語で「英雄」だそうです。なるほど、英雄色を好むということか。


ジェネレーターカバーにEROE MOTOロゴが刻れたエンジン。

サイトでスズキGSベースと記載されているエンジンはインジェクションでユーロ5もクリアとのことで、中国か東南アジアの現行GS125系モデル(or パクリ)の車体をドレスアップしたっぽいですね。


私が知っている昔のスズキGS125。今見るとカッコいい...とは思わないものの、80年代らしい造形が味わい深い”小刀”。

スズキデジタルライブラリーより。


EROEに話を戻すと、同じGS125ベースでカフェレーサーやスクランブラーもあり、どちらも造り込みのレベルは高そう。ただ、オーナーのブログをいくつか見たところ「パワー不足」とのコメントが散見されました。まあ9.9psですからね。



カブ風電気バイクもサイトにありました。

BUCCANEER 125

こちらは2年ほど前に見掛けた別ブランドの125。タンクとシート色のコーディネートが渋いので写真に収めた一台で、BUCCANEERのエンブレムがタンクに入っていました。

中国浙江省のLongjia(龍嘉?)という、OEM・ODMも手広く手掛けるメーカーのバイクで、韓国SNSでは「まあまあ作りが良い割に日本車より安い」「韓国ではそこそこ売れた」「遅い」といったコメントもありました。

余談... バッカニアと言えば

Buccanee/バッカニアと言えば飛行機ファンにはイギリスの爆撃機、ブラックバーン・バッカニアですね。イギリス空軍博物館にて撮影。

写真では野暮ったい印象を持っていましたが、目の前にすると隆々とした無骨な造形が独特の凄みを感じさせる機体でありました。

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現代(ヒョンデ)8代目ソナタで韓国北部を500Kmドライブ【試乗記】

韓国北部へのドライブ旅行に行った際に乗った現代自動車のソナタについてインプレ的に書き留めます。

現代ソナタ

車格はカムリやアコードと同じDセグメントのFFセダン。長年韓国市場ではベストセラーでした。先代の7代目までは比較的オーソドックスなデザインで韓国のタクシーでは定番車種となっています。

外観

2019年発売の8代目は好き嫌いが分かれる攻めたデザイン。北米市場を意識したものだと思いますが、保守的なデザインが好まれる韓国市場での販売は低迷しています。


オーソドックスなスタイルだった7代目。


サイズは4,900×1,860×1,445mm。




ボルテックスジェネレーターが付いています。


一つ下、Cセグメントのアバンテと並ぶとこんな感じ。


スモールを点けるとモールの一部が光ります。



インテリア・装備

クーペルックなので居住性に皺寄せが?と思いきや、リアの乗降性以外は実用面で特に問題は無く、サイズの割には乗り易い普通のセダンでした。

居住性

レザーシートの質感はまあまあですが、座り心地・ホールド性は上々。


リアのドアは足元が窮屈で頭上もタイト。このためか韓国ではタクシー用として旧型の7代目も継続生産されています。


しかし、乗ってしまえばスペースには不満の無いリアシート。



充分広いトランク。容量はVDA基準で510L。

視界・インパネ

ピラーの配置が適切で見切りが良いのは意外でした。


廉価モデルなので普通の指針式メーター。中級以上のモデルはフル液晶になります。


ラジオの画面がレトロなニキシー管風で洒落ています。


レーンキープと前車追従クルコンも付いていました。

パワートレイン

エンジン

2リッター直4で出力は160PS。上級モデルには1.6リッターで180PSのダウンサイズターボもあります。


ボンネットはつっかえ棒無しで開きます。

トランスミッション

EV時代を見据えて現代はATの開発に見切りをつけたのか、ATはトルコン式の6速。AT自体は変速ショックは皆無な一方でステアリングのパドルでマニュアルシフトするとスパスパと小気味良く変速してくれて洗練されています。ボタン式の操作には5日間乗っても最後まで慣れませんでした。

乗り心地・走り

印象的だったのは穏やかな乗り心地。高速でも荒れた田舎道でも一貫して鋭いショックが遮断されて実に快適でした。特に80~120km/hでのゆったりした乗り味は、ドイツ車的なビシッとした感触とはを好む人には合わなさそうですが、以前当ブログで紹介したシボレー・インパラにも通じる鷹揚さでありました。


高速以外だと中速コーナーが続く山道を走った程度ながら、軽めのパワステは人工的な反力が無くて素直な感触。ただ、穏やかな乗り味は良いのですが「デカいFF」を走らせている感覚はずっとありました。

履いていたタイヤはピレリP Zeroの215/55R17オールシーズン。



アメ車にも通じる快適な乗り心地に対し、エンジンの方は流石に2リッターだと必要最低限のパワー感。非力とまでは感じなかったものの2.4リッターぐらいは欲しいですね。回り方は4気筒としては緻密感があって好ましいものでした。

余談...4代目”クジラ”クラウン

定番車種が攻めたデザインを採用してコケた例だと日本だとこれではないでしょうか。「スピンドル」や「クジラ」と称される1971年登場の4代目クラウン。今見ると味わい深いデザインであります。

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【ドイツ】メルセデス・ベンツ博物館/Mercedes-Benz Museum訪問記(6)コンセプトカー・C111ロータリー実験車・ミュージアムショップ

メルセデス・ベンツ博物館訪問記の最終編です。8階から順に観覧し、コンセプトカーやプロトタイプが展示されている地上階まで降りてきました。

実験車・コンセプトカー・プロトタイプ

C111(1969)

ミッドに搭載するロータリーエンジンは3ローターで最大出力は280PS。その後4ローター・350PSまで発展したものの燃費はやはり極悪。当時REに取り組んだ他メーカーと同様、オイルショックと排ガス対策の困難さからメルセデスもREプロジェクトを打ち切りました。

テーブルのようなステージ上に展示されていたのでディテールまで観察できなかったのは残念でした。


デザイナーはブルーノ・サッコ。リアクォーターが梁のようになっているのはマセラティ・メラクにも通じる造形です。

C111-III(1978)

RE断念後、C111プロジェクトは高性能ディーゼルにスイッチ。このタイプには5気筒ターボディーゼルが搭載されています。

T-80 速度記録車(1940年頃)

ナチス時代に国威発揚を狙ってフェルディナント・ポルシェ設計で製作されたレコードブレーカー。ボディーはジュラルミン、エンジンは航空機用の液冷倒立V12で3,000PSなので限りなく飛行機に近いですね。

後のシミュレーションでは時速600キロも可能ではあるものの空力バランスは問題があることが判明。結局走らせる道を整備させているうちに戦争が激化し計画が中止になったのは結果的に幸いでした。


その他、記録挑戦車やコンセプトカーの詳細は割愛します。

190E 2.6 カブリオレ(1990)

プロトタイプでは駐車場階のショーケースにこんなのが展示されていました。190E(W201)ベースのカブリオレ。

ややヒップのボリュームが気になるもののすぐに市販できそうな完成度。しかし、結局市場投入されたのは300CEカブリオレでした。

別館?...Mercedes-Benz Center

ミュージアムに隣接する”Mercedes-Benz Center”。

マイバッハのコンセプトカーが展示されていました。

ミュージアムショップ


ベンツ純正首振りダックスフンド。


300SLRローリングシャーシのスクラッチ模型の価格は3万5千ユーロ。



メルセデス純正レストア車 "All Time Stars"

メルセデスのクラシック部門でレストアされた車両が販売されています。

流石はメーカー純正のクオリティ。でもお高いんでしょ...


例えばこちらの1993年式320CEは39,890ユーロ≒550万円と、頑張れば手が届く価格。


紺色のソフトトップも凛々しい1987年式300SLは59,890ユーロ≒830万円。上手い値付けです。


流石に1971年式の280SE 3.5カブリオレは”auf anfrage”≒応談となっていました。

最後に

展示のレイアウトや順路が適切で、また、無粋なロープなども無いので非常に見やすいミュージアムでした。各時代の文化や世相と絡めるなど、もうちょっと遊び心があっても良い気もしますが、この生真面目な雰囲気もドイツらしいと言えるかも知れません。

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【ドイツ】メルセデス・ベンツ博物館/Mercedes-Benz Museum訪問記(5)シルバーアロー・メルセデスのモータースポーツ

見学順路の最後はレーシングメルセデス。世界のサーキットやレース名が書かれた経路を降りてゆきます。

モータースポーツにおけるメルセデス...シルバーアローの軌跡(2階)


マクラーレン MP4-13(1998)

先ずは私がファンだったハッキネンのチャンピオンマシン。V10エンジンの甲高い咆哮やシューマッハとのバチバチの死闘は忘れられません。


V10メルセデスF1エンジンは日本のバブル企業レイトンハウスの1991年マシンに積まれたイルモア(Ilmor)が起点で、マシンのチーフデザイナーは売り出し中のエイドリアン・ニューウェイでありました。

そのエイドリアン・ニューウェイがレイトンハウスを去って加入したのがマクラーレン。このMP4-13も開発途中からニューウェイが関与しています。

マクラーレン MP4-23(2008)

ハミルトン先輩がマッサと1ポイント差で初タイトルを獲得したマシン。

メルセデス F1 W05ハイブリッド(2014)

この時代のノーズは醜い。初めて見た時は絶句しました。

それにしても近年のF1は超絶に複雑な形状で、ディテールは芸術的です。

サウバー・メルセデス C9(1989)

1989年ル・マン24時間レースの優勝車。当時ジャガーを応援していた私にはヒール的な存在で、シルバーの車体が不気味に見えたものです。

サウバー・メルセデス C11(1990~1991)

1991年、SWCでは9戦中8勝を挙げたもののルマンでは伏兵マツダ787が優勝。日本のファンが痺れた年でした。改めてリザルトを見ると2~4位はジャガー、5位がメルセデス、トップ10にはポルシェ962Cも入っているという群雄割拠の時代でありました。

500SLC(1980)

トランスミッションは市販仕様の4AT、パワステ付きで(エアコンも残されていたと読んだ記憶があります)WRCに参戦。'79年のサファリでは2位、’80年最終戦コートジボワールでは1・2フィニッシュを決めたSLC。


300SE Rally(1963)

こんな展示もありました。アルゼンチンの公道レース(距離が4779kmというのが凄い)で優勝した300SE。

W196 ストリームライン(1954)

ラリーからサーキットのシルバーアローに戻ります。

タイヤも流線型のボディーに覆われていますがF1マシンです。空力メリットより視界や整備性のデメリットの方が大きいことが参戦直後に判明、次のレースから下のオープンホイールが投入されます。

W196 オープンホイール(1954)

そして急遽作られたW196オープンホイール。それ以降はサーキットによって使い分けられました...って大らかな時代だな。ファンジオのタイトル5回中2回はW196での獲得でした。

300SLR(1955)

スターリング・モスが1955年のミッレミリアで優勝したものの、この年のル・マンで80人以上の観客が死亡する大事故の結果メルセデスはその後30年間レース活動を休止。もしこの事故が無ければモータースポーツの歴史は大きく異なっていたことでしょう。

300SL プロトタイプ”Carrera Panamericana Mexico”(1952)

ガルウィングSLの原型ですね。縦ルーバーのフロントグリルは今のメルセデスAMGがモチーフにしています。

DTMと戦前のシルバーアロー

すみません、個人的にこの分野はそれほど興味が無いので写真のみです。右下、1900年代のダイムラーなんかはどんなドラテクを駆使していたのでしょうね。

長々と続けているメルセデスベンツ博物館編、次回が最後です。

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【ドイツ】メルセデス・ベンツ博物館/Mercedes-Benz Museum訪問記(4)著名人のメルセデス|ダイアナ妃の500SL,昭和天皇のグロッサーメルセデス

見たものをひたすら振り返るメルセデスミュージアム訪問記、今回は「著名人のメルセデス」がテーマの展示です。正面に鎮座するワインレッドのSLは故ダイアナ妃の愛車。日本人には昭和天皇のグロッサー・メルセデスが見所です。

セレブリティのメルセデス(4階)

昭和天皇のグロッサーメルセデス

太平洋戦争を挟む1935~1968年の長きに亘って御料車として使用された770プルマンリムジン。

戦後、北海道行幸時の写真。

菊の御紋は門外不出なので展示用は花弁を一つ減らしているのだそう。

防弾構造で4トンを超える車重に対応するため、タイヤは横浜ゴムの特製品が装着されています。


因みに、天皇御料車の隣に展示されていたのは最後のドイツ皇帝、ヴィルヘルム2世の愛車だったカブリオレ。

ダイアナ妃の500SL

故ダイアナ妃のプライベートーカーだった500SL。英国のプリンセスが外国車に乗るとは怪しからんと批判を浴びて1年足らずで手放した由。その前まではジャガーXJ-Sに乗られていたそうで、自国にも高級車メーカーがあるイギリス王室メンバーとして非難されるのも仕方ないですね。


ローマ法王のGクラス

ダイアナ号の隣は1980年、ヨハネ・パウロ2世のドイツ訪問を機に製作されたパレード用車両で、ベースは230G。

当然ながらエアコンは強化されています。

ニコラス・ケイジの190E 2.3

ハリウッドスターらしからぬ渋いチョイス。

サッカー・ドイツ代表チームのバス

西ドイツで開催された1974年大会にメルセデスは移動バスを提供。優勝は地元西ドイツだったんですね。

アデナウアー首相の300リムジーネ

宇宙飛行士の190SL

アポロ9号と15号の宇宙飛行士David Randolph Scottさんの愛車。1959年に購入し2004年まで所有されていたものでレストアされていないオリジナルコンディション。まさに”愛車”ですね。

特別展示(3階)

このエリアの統一テーマはよく分かりませんでしたが、ポルシェ博士設計でVWビートルに似た130や霊柩車などの興味深い展示でした。

130H(1934)

フェルディナント・ポルシェ博士が在籍中に基本設計を行ったRR小型車。VWタイプ1ビートルによく似ていますがエンジンはフラット4ではなくサイドバルブ直4。

200D 霊柩車

イタリアで使われていた200Dベースの霊柩車。

完成度の高い改装作業はPilatoというイタリアのカロッツェリアで改造されたもので、今も霊柩車やリムジンの製作で盛業のようです。

220S Cabriolet

200D(W110)
200D(W123)

これも味わい深い一台。2代目3代目Eクラスの丸目ライトはこれをモチーフにしたっぽいですね。

L307


その他、以下のような展示もありました。


車名やダイムラークライスラー時代のエンブレムなど。



ジャニス・ジョプリンのアカペラ曲”Mercedes Benz”や日本のイナバ物置のテレカが泣かせます。

次回はモータースポーツ編です。

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【ドイツ】メルセデス・ベンツ博物館/Mercedes-Benz Museum訪問記(3)戦後復興期のメルセデス|300SLR,ガルウィングSL,テールフィン”ハネベン”

182億円という自動車史上最高額で落札されたことで昨年話題になった300SLRや300SLガルウィング、また、テールフィンベンツ”ハネベン”といった味わい深い展示もこのゾーンに展示されていました。

”Form and Diversity” 戦後復興期(5階)

「ライン川の奇跡」と呼ばれた戦後復興から成長期の展示。テーマを訳すなら「フォルムと多様化」といったところでしょうか。

”Post-war Miracle”

トヨタが苦労の末に初代クラウンを上市したのが1955年。日本も自動車大国への歩みを始めた時期と言えますが、ベンツって当時からすげークルマ作ってたんですね。そう考えるとドイツも凄いし日本も凄い。

300S Cabriolet A(1951)

300 Limousine(1951)

180 ”ダルマベンツ”(1953)

世界で初めて吸収式構造ボディーを採用した乗用車。

300SLR "ウーレンハウトクーペ"(1955)

昨年5月、135万ユーロ≒182億円でオークション落札されたことで話題になった300SLR。9台製作された中でクーペは2台で、どちらもメルセデスが所有していた内の1台をビリオネアに売却した由ですが、求めに応じてミュージアムに展示し、収益は奨学金基金に使うそうなのでオーナーと言っても名誉職で篤志家のようなものでしょうか。


直6の300SLとは違いこちらはF1マシンがベースの直列8気筒。ノーズの長さが印象的です。

チーフエンジニアだったウーレンハウト氏が300SLRをカンパニーカーとして公道使いしていたそうで(無茶するなぁ...)その際にドアの下辺りに後付けのサイレンサーを装着してた写真を見たことがあります。

300SL Coupe(1954-1957)

この種のスーパースポーツとしては多い1,400台も生産されたので世界各地の自動車博物館ではお馴染みの存在ですが、見る度に良い形だな~と感心します。


ガルウィングドアはウケを狙った訳ではなく、サイドのスペースフレーム高さを下げたくなかったために採用したものでした。



300SL Roadstar(1957-1963)

クーペのフレーム構造を再設計して通常のドアになったロードスター。縦目ヘッドライトはこのロードスターが元祖です。

LK 338 Dump Truck(1960-1976)

安全と環境性能(4階)


衝撃吸収ステアリングコラムとクラッシュテストの資料。

300 300 Measuring Car/測定車(1960)

Sクラスの先祖、300のセダンボディーをベースにパノラミックウィンドウのワゴンボディに改造した測定車。

社内で測定に使用するためのワンオフにもかかわらずしっかりとデザインされていて実に魅力的。テールフィンやマフラーを内蔵したクロームのバンパーなどはアメ車のトレンドも上手く溶け込ませていて秀逸です。

テレメトリー技術など無かった時代、被測定車とはケーブルで繋がれています。

エンジニア席の背もたれが籐編みというのも味わい深い。

220S”ハネベン”(1959-1965)

その測定車にケーブルで繋がるのがW111”ハネベン”。搭載するターンフロー直6エンジンは日産L型がモデルとしたとされています。


230SL(1963-1967)

衝撃吸収ボディー構造を備えた世界初のオープンスポーツということでこのエリアに展示されていました。

仏教建築の反り上がった屋根をモチーフにしたとされるパゴダルーフ。

下の方が細いCピラーは今では考えられないエレガントな造形。

ESF22(1973)

今から50年前、初代Sクラス450SEを種車にエアバッグやベルトテンショナーなど、今では軽自動車でも標準搭載されていますが当時は実用化前だった安全デバイスを備えた実験車。

これ、私の小学生時代の愛読書だった学研の自動車図鑑で”未来のテクノロジー”的に紹介されていた一台だったので実写を見て感慨深いものがありました。

300SD(1977-1980)

ESF22のベースになったW116。史上初のターボディーゼルエンジン乗用車である300SD。

US仕様の展示車はSAE規格の丸ライトと5マイル出っ歯バンパー。

O303 Touring Coach(1974-1992)

耐横転クラッシュ性を意識した設計でABS初搭載のバス。70年代らしい角ライトとカーブウィンドウが味わい深い。

Auto 2000(1981)

1981年フランクフルトショーに出展された空力・燃費スペシャルでCd値は0.28。特にフロントのデザインはW124/EクラスやW140/Sクラスに通じるものがあります。

190E(1982-1993)

「コンパクトでも上級クラスに劣らない安全性を実現した」ということでこのエリアに展示されていました。小ベンツも40年前か...昭和は遠くになりにけり。

次編は故ダイアナ妃の500SLなど、セレブリティのメルセデスです。

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【ドイツ】メルセデス・ベンツ博物館/Mercedes-Benz Museum訪問記(2)バス・トラック,世界最速のキャリアカー”ブルーワンダー”

上階から下へ降りてゆく順路のメルセデス・ベンツ博物館、今回は7階から5階の展示を振り返ります。ここではバスやトラック、緊急用車両などの事業用が中心でした。世界最速のキャリアカー、300SLRを運んだ”ブルーワンダー”が個人的にはツボでした。

旅のギャラリー(7階)

”Gallery of Voyagers”と称する展示エリア。長距離バスだけでなく市バスや乗用車もあるので「人を運ぶ」ことがテーマになっているようです。

16/45 PS Mercedes-Knight Tourer(1921)

LO 1112 Omnibus(1969)... ブエノスアイレスの乗り合いバス

バスの中で印象的だったのがこのバス。アルゼンチンでは当時こうしたデコレーションを施すのが一般的だったそう。


”LICENCIA DAIMLER-BENZ”のプラック。ブエノスアイレス工場製です。


純正品でしょうか?ナンバープレートの枠も誇らしげなスリーポインテッドスター入り。

Milnes-Daimler 2階建てロンドンバス(1904)

O 2600 Touring Coach(1935-1940)

O3500 Touring Coach(1952)

イタリアで観光バスとして使われていたもので、ルーフの端がパノラミックウィンドウになっています。

O305市内バス(1980)

地元シュツットガルトの市バスだったもの。

Mercedes-Benz 320 Stromlinien-Limousine(1939)

市バスの隣に展示されていた流麗なリムジーネ。流線型の先駆者クライスラー・エアフローの登場が1934年なので、これもその影響を受けた一台ですね。

Mercedes-Benz 12/55 PS Pullman-Limousine(1926)

年代が前後しますが、ダイムラーとベンツが合併し「メルセデス・ベンツ」ブランド名で発売された初めてのモデル。

300SEL 6.3

300SELのボディーに600リムジン用6.3LのV8を詰め込んだアウトバーン超特急。450SEL 6.9が直接の後継車ですが、後年の500EやC55 AMGなど、メルセデスはこの路線がお好きですね。

エンブレムを見ないとそれと気付かないのが渋い。

300TD

過激な300SEL 6.3の横に佇むのはトランクにレジャーグッズを載せた癒し系ワゴン。

ところで、TDってTurbo Dieselの頭文字だと思い込んでいましたが、Tは”Tourism and Transport”なのだそう。確かにガソリン仕様はNAでも300TEだったりしました。


ステアリングやメーターの進化。

輸送用車(6階)

パンフレットでは”Gallery of Carriers”となっているエリアには主にトラック系が展示されています。

High-speed Transporter ”ブルーワンダー”(1955)

スポーツカー選手権出場車を運ぶためにワンオフで作られたキャリアカー。エンジンはガルウィング300SLの直6直噴(215PS)を流用、最高速は170km/hに達したという世界最速のトランポ。まあ、ここまでの高性能が必要な訳ではなく遊び心も多分にあったものと思います。


載せられている300SLRも超貴重です。

オリジナルは1967年に廃車されましたが、展示車は当時の技術資料を基にメルセデスがレプリカを再製作したものです。

300SLRのノーズがジャストフィットしています。

ベンツ 3トントラック(1912)

プロペラシャフトや空気入りタイヤは当時一般的ではなく、チェーンドライブとソリッドゴムタイヤが使われています。

O 10000 ”移動郵便局”(1937-1941)

展示車はオーストリア郵政公社の小包トラックだったもので、ザルツブルク音楽祭のよなイベントでは仮設郵便局として使われた由。

側面には窓口、車内には国鉄時代の郵便車のような仕分け棚もありました。

L 6500 platform truck(1935-1940)

これもボンネットが長いですね。エンジンは12,500cc直6

LP333(1958-1961)

前2軸の外観から「ムカデ」の愛称で呼ばれたとのこと。なるほど。

L406 パネルバン(1965-1968)

上のムカデトラックもそうですが、ちょっと困ったようなファニーな表情が素敵です。

1624 Autotransporter(1980)

シュツットガルト郊外、ジンデルフィンゲン工場製のSクラスや280CEが載せられています。


LP1513 タンクローリー(1967-1976)

人を助けるメルセデス(5階)

英語では”Gallery of Helpers”と題したエリア。消防・救急車から除雪車も展示されていました。


消防車

1912年と1950年のはしご車。因みにドイツの救急・消防の電話番号は112番、警察は日本と同じ110番だそうです。

救急車
ウニモグの除雪車
ゴミ収集車
パトカーとF1のメディカルカー

Cクラスのワゴンってこういった用途でも使い勝手が良いんでしょうね。

以上、事業用のメルセデスを中心に振り返ってみました。


(3)に続きます。次回は300SLRなど1950年代~1970年代のメルセデスです。


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【ドイツ】メルセデス・ベンツ博物館/Mercedes-Benz Museum訪問記(1)ベンツ1号車,メルセデス・ベンツの誕生,初のディーゼル乗用車

メルセデス・ベンツ本社所在地、シュツットガルトの同社博物館を訪問した記録です。同市にはポルシェの本社と博物館もあり、勿論そちらも訪れました。


今回も現地で見たもの撮ったものをひたすら振り返ります。展示車名や年式などはその場での記録や公式サイト、Wikipediaなどのネット情報、別冊CG「自動車アーカイブ」(二玄社)などを参考にしました。色々と私の思い込みや間違いがあると思いますが何卒ご容赦を。

場所

私はレンタカーで行きましたが、例えばシュツットガルト中央駅から最寄りのNeckarpark駅へは近郊電車Sバーンで一本で行けます。


同じエリアにはメルセデスアリーナやサッカーグラウンドもあります。


館内へ

2023年時点の入館料は12ユーロで特に予約は不要。オーディオガイドは日本語チャンネルもありました。

www.mercedes-benz.com


先ずはエレベーターで8階まで上がり、順路に沿って展示を見ながら降りるという構成になっています。


備忘も兼ねてスキャンしたパンフレット。ディーゼル(6F)や安全技術(4F)に特化した展示エリアもあることにメルセデスらしさを感じます。

自動車の発明(8階)

エレベーターを降りると自動車誕生前の移動手段だった馬が出迎えてくれます。

ベンツ・パテント モートル ヴァーゲン(1885)

自動車の始祖、メルセデスの一号車として世界各地の自動車博物館にレプリカが展示されているお馴染みの存在。そういった需要に応えるためか、メルセデスのクラシック部門に注文すれば販売してくれます。



当時の特許。

ダイムラー1号車(1886)

こちらは4輪。一応フロントの2輪をステアするようになっていたりと既に現代の自動車に通じる機構も見受けられます。

Reitwagen/リートワーゲン(1885)

こちらもダイムラー氏の作で世界初のオートバイとされているようです。

3人のパイオニア

カール・ベンツ、ゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハ。

メルセデスは昨年正式社名をDaimler AGからMercedes-Benz Group AGに変更しました。しかし、ハイエンド乗用車のブランドとしてマイバッハの名が使われているのに対しダイムラーの名は分社化したトラック部門の持ち株会社に残っているものの冷遇されているように感じます。欧米人には語感が良くないのでしょうか?

世界最初のトラック...Daimler Motor Lastwagen(1896)

積載量は1.5トンと中々のもの。顧客にはビール醸造所もあったというのがドイツらしいですね。

黎明期のモビリティ

上記以外にも鉄道車両や船など興味深い展示が多々ありましたが、調べだすとキリがないので写真のみ載せます。

メルセデスブランドの誕生(7階)

ダイムラーの有力ディーラーを経営していた大富豪が自分の娘の名前を付けるよう求めた結果ブランド名がメルセデスになり、そして1926年にベンツと合併して今のメルセデス・ベンツに至ります。

 

フロントエンジン+ラダーフレーム+後輪駆動というその後に繋がるレイアウトが確立されてゆきます。

 

夜間も自動車で走る時代が来たことを物語る大きなヘッドライト。

Mercedes-Simplex 40PS

現存する最古のメルセデス。また、「走行性能優先、2シーターの市販車、(相対的に)低い車高」という定義から見ると史上初のスポーツカーとされる説があります。

Mercedes-Simplex 60PS Reiselimousine(1904)

この辺りでスリーポインテッドスターが登場。

20/35 PS Benz landaulet(1909)

この時点ではまだ合併前なのでベンツはまだベンツでした。

戦間期のメルセデス・ベンツ

第一次大戦で敗れ、巨額の賠償金やハイパーインフレで疲弊する中で外貨を稼ぐという大義名分も有って(有ったからこそ)技術と贅を尽くしたハイパーカーが並びます。

Mercedes 10/40 PS Sport(1923)

Mercedes-Benz SS(1930)

この辺りからメルセデス・ベンツになります。

Mercedes-Benz 500K(1936)

Mercedes-Benz 540 K Cabriolet B(1937)

Mercedes-Benz 770 ”グロッサー・メルセデス” Open Tourer(1937)

昭和天皇の御料車はセレブリティのメルセデスとして4階に展示されていました。

ディーゼル・メルセデス(6階)

Mercedes-Benz 260D Pullman sedan(1936)

世界初の量産ディーゼル乗用車。

Mercedes-Benz Lo 2000 Diesel(1932)

右側は世界初のディーゼル小型トラック。積載量は2トン。

1万2千台以上生産されたそうで、商業的にも成功作だったと言えるでしょう。

メルセデス・ベンツ博物館訪問記(2)バス、トラック、事業用車編に続きます。

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【イタリア】モデナの旧市街をブラ歩きする(後編)マセラティ本社,エステンセ美術館,泊まったホテルなど

イタリア・モデナ街歩きの後編です。

マセラティ本社

スマホ地図で市街地の外れにMaserati S.p.a.とあるので行ってみたところ、やはりマセラティの本社でした。これでイタリアンスポーツカー御三家(?)本社巡りは一応コンプリートしました。

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本社の社屋自体はこじんまりしているフェラーリ・ランボルギーニ(工場や関連施設は別として)と比較すると、こちらは高く近代的なビルもあって立派なのはマセラティには失礼ながら意外でした。

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年季の入った工場が奥に見えます。

現行モデルではレヴァンテはトリノのミラフィオーリ工場で生産中、新しいMC20はこのモデナ工場で生産されます。

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マセラティも安全第一。日本の工場でよく見掛けるゼロ災緑十字ボード。

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ミュージアムはありませんがショールームはあります。訪れたのが日曜日で入れなかったのが残念。

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塀越しにカメラを持ち上げて証拠写真を撮影する私は怪しい東洋人でありました。

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尚、マセラティの公式ミュージアムはありませんが、モデナ郊外にチーズ造りで財を成した個人が運営する”Panini Motor Museum”というのがあり、中々充実した展示の模様。この時はリサーチ不足で知らなかったのが悔やまれます。まあ、次回の楽しみに取っておきましょう。

www.paninimotormuseum.it


旧市街からの途中にあった、第一次大戦で亡くなったモデナの兵士を弔う”Tempio Monumentale San Giuseppe”という建物。

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途中の公園にて。

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エステンセ美術館 / Galleria Estense

中世にこの地域を支配していたエステ家が集めた作品が収蔵されています。

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2世紀頃の彫刻。

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以下、概ね観覧した順番です。絵は中世の宗教画が多いようでした。

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こらこら、仲良くしなさい。

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見事な珊瑚の細工。

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17世紀のチェンバロ。

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美術館に行くと毎回、学生時代に世界史や美術の授業をしっかり聞いておくべきだったと後悔します。

モデナで泊まったホテル・食べたもの

泊まったのはLa Stella D'Italiaという中級ホテル。エンツォ・フェラーリ博物館と同じ並びにあり徒歩すぐ、駅からは10分弱というロケーション。レートは1泊70ユーロ程でした。


フロントのお姉さんにランボルギーニへのバスでの行き方聞いたらわざわざミュージアムに電話して確認してくれたりと、とても親切で気分の良い滞在でした。

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南欧のホテルは必ずと言っても良いほどビデがあります。

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フェラーリの地元らしい演出もあります。

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折角美食の地、ボローニャ地方に行きながら食べ物には無頓着に過ごしました。

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好天に恵まれたのでとにかく暑く、早くシャワーを浴びてビールを飲みたかったので近所のテイクアウト店(トルコ人経営)でケバブやピザを、すぐ横の商店(こちらはポーランド人経営)でニシン酢漬けとビールを買い込んで一人部屋飲み。これもまた旅の楽しみであります。

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次回イタリア旅行の機会があればカミサンと一緒に行き、その土地毎の食べ物も堪能します。


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【イタリア】モデナの旧市街をブラ歩きする(前編)グランデ広場,大聖堂,アルビネッリ市場,エミリア街道

フェラーリとランボルギーニ博物館を目的に訪れたモデナは古い町並みが美しく、スーパーカー(昭和語?)とは裏腹の静かな街でした。

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フィレンツェからボローニャを経て到着したモデナ駅。

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歩いて回れる広さの旧市街。

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デュカル宮殿 / Ducal Palace

「1452年から1859年までモデナのエステ公爵夫人の住居でした」とのことですが、じゃあ旦那はどんな宮殿に住んでたんだ?

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宮殿前の広場。

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トロリーバスが走っていました。

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グランデ広場 / Piazza Grande

大聖堂前の広場。左側が大聖堂、右側は市庁舎。クルマ好きがPiazzaと聞くといすゞのピアッツァを思い浮かべますがイタリア語で「広場」の意味。また、トヨタ・ビッツの姉妹車プラッツもドイツ語の”platz”、これも「広場」だったりします。

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モデナ大聖堂 / Duomo di Modena

12世紀に完成した聖堂。モデナ出身の三大テノール、ルチアーノ・パヴァロッティの葬儀はここで行われました。

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ギルランディーナの塔 / Torre della Ghirlandina

大聖堂に隣接する鐘楼。グランデ広場、大聖堂と共に世界遺産に登録されています。まあヨーロッパ、特にイタリアを旅していると世界遺産だらけで感覚が麻痺してくるのですが。

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サン・ジョルジョ教会 / Chiesa di San Giorgio

こちらは17世紀に建てられたものだそうで、建築様式が変化してきたことが分かります。

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アルビネッリ市場 / Mercato Albinelli

名所旧跡を一応アリバイ的に回った後は市場に行ってみます。

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パルミジャーノ・レッジャーノの地元だけあってチーズが充実しています。また、モデナはバルサミコ酢の本場中の本場でもあります。

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スイーツと生パスタを売る店。

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イタリア式角打ちと言いましょうか、市場の一角で一杯やるおじさん達。

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エミリア街道とモデナの街角

街のメインストリートにもなっているエミリア街道。

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気分はNHKの「世界ふれあい街歩き」、旧市街をブラ歩きします。

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南欧らしい営業時間。

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良い感じに草臥れたベスパ。

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フェラーリもランボもいなかったモデナ

大間産のマグロが大間では出回らないのと同様にでしょうか、モデナの街ではフェラーリもランボルギーニも、結局一台も見掛けませんでした。

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市街地では小型車や、それより更に小さいマイクロカーも見掛けました。

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また、赤い車も少数派で、白やシルバー、黒系が多いようです。

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”MICROCAR”というエンブレムの付いた超小型車。

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白バイはホンダのNC750。

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余談

街外れに停まっていた古い大宇のマティス。

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オリジナルデザインはジウジアーロでフィアットに売り込んだものの不採用。その後大宇が買い取ったものでこれも立派なイタリアンデザイン。そのせいかイタリアの街に違和感無く溶け込んで見えます。


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【イタリア】フェラーリ博物館訪問記(7)歴代エンジンの展示/エンツォ・フェラーリ博物館にて

長々と続けて書いてきたフェラーリミュージアム訪問記の最後はエンジン博物館。単体で展示されているエンジンの機能美をひたすら鑑賞した記録です。

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エンツォの生家と、父アルフレードの金属工場だったレンガ造りの建物に歴代エンジン(勿論ほんの一部)が展示されています。

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歴代エンジンの展示

気筒数やターボ過給の有無などのタイプ別に展示されていました。折角マメに記録して来ましたのでミュージアムの説明パネルにあったスペックも併記します。

12気筒エンジン

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125S(1947)

初めてフェラーリの名前を冠して世に出た第一号車125Sのエンジン。3台製作された実車はクラッシュなどで失われたと言われているので復元品だと思います。

排気量 1497cc
レイアウト V12 60°
最高出力 118HP @6800rpm

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F113A(1984)

テスタロッサのエンジンですね。イタリア語”Testarossa”は「赤い頭」の意味。カムカバーが赤く塗られていた1958年の250TRに因むネーミングでした。

排気量 4943cc
レイアウト V12 180°
最高出力 390HP @6300rpm

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インマニの形状から、展示機は後期型だと思います。

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512BBから踏襲したトランスミッションとの2階建てレイアウト。ランボはカウンタックで室内側にミッションを張り出すレイアウトを採用したりと、どちらも12気筒ミッドシップのレイアウトに苦労していたことが伺えます。

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フェラーリ自身が確信犯的にBB=Berlinetta Boxerのサブネームを付けながら、ボクサー・水平”対向”ではないのも今となってはご愛敬。

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F50(1995)

F1エンジンから発展させたユニット。F1同様エンジンも構造材として応力を負担させるためボディー直付けだったそうですが、音振対策はどうだったんでしょうか。

排気量 4698cc
レイアウト V12 65°
最高出力 520HP @8500rpm

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F140B(2002)

ピニンファリーナのチーフデザイナーだった奥山清行さんがデザインしたとされるEnzoのパワーユニット。

排気量 5998cc
レイアウト V12 65°
最高出力 660HP 7800@0rpm

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オルタネーターがデンソー製で日本人として誇らしいですね。

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F140EB(2011)

奇妙なシューティングブレークボディーの4WD、”FF”のパワーユニット。エンジン前側に出力軸らしきものが見えます。

排気量 6262cc
レイアウト V12 65°
最高出力 660HP @8000rpm

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F1エンジン

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F1 015/3(1975)

ニキ・ラウダがタイトルを獲得した312Tのエンジン。ラウダファンには涙モノの展示です。

排気量 2992cc
レイアウト V12 180°
最高出力 495HP @12200rpm

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F1 126CK(1981)

ヴィルヌーヴに「真っ赤で早いキャディラック」と評された、パワフルだけどシャシー性能は低いという往年のフェラーリF1らしいマシンでした。エンジン単体の型式はTipo 021だと思います。

排気量 1497cc
レイアウト V6 120°
最高出力 540HP @11000rpm

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ターボチャージャーは120°バンクの内側というレイアウト。BMWは直4だったり、ホンダやTAGポルシェ、ルノーのV6勢も色々なメカニズムをトライして面白い時代でした。

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120° V6ツインターボのレイアウトを、昨年登場の296GTBが40年の時を経て採用したというのも興味深いところです。

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036/2(1990)

展示機はプロストが1990年フランスGPで優勝した際のものとありました。640系がいち早くセミATを導入したのは、ピーキーなエンジン特性のため7速ミッションを使いたかったのも一因だったと言われています。

排気量 3497cc
レイアウト V12 65°
最高出力 680HP @12750rpm

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ヘッドは5バルブなので合計60バルブ。

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F1 049(2000)

シューマッハがフェラーリでは初タイトルを獲得したF1-2000のエンジン。この後2004年まで5連覇という皇帝時代の幕開けでありました。

排気量 2997cc
レイアウト V10 90°
最高出力 805HP @17500rpm

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F1 056/K(2007)

ライコネンが6勝を挙げてドライバーズタイトルを獲得、マッサも3勝と健闘してWタイトルも獲得したシーズンでした。

排気量 2398cc
レイアウト V8 90°
最高出力 750HP @19000rpm

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V8エンジン

ディーノのV6もこのカテゴリーで一緒に展示されていました。ミッドシップの所謂「ピッコロ・フェラーリ」の系譜という趣旨のようです。

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F135B(1967)

ディーノ206/246だけでなくフィアットのFRスポーツやランチア・ストラトスにも積まれたユニット。初期の2Lはアルミブロック+マグネシウムのカムカバー、後期の2.4Lは鋳鉄+アルミに変更されています。

排気量 1986cc
レイアウト V6 65°
最高出力 180HP @8000rpm

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F129B(1994)

F355に搭載された5バルブユニット。この辺りからフェラーリの品質は劇的に向上したと言われています。

排気量 3495cc
レイアウト V8 90°
最高出力 380HP @8250rpm

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5バルブなので”quattrovalvole”ではなく”cinquevalvole”。

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F136E(2004)

F430のパワーユニット。5バルブはデメリットの方が多いことが徐々に分かって流行が終わり、フェラーリも4バルブに戻ります。同じベースのエンジンがマセラティのクアトロポルテにも積まれました。

排気量 4308cc
レイアウト V8 90°
最高出力 490HP @8500rpm

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F136IH(2008)

カリフォルニアに搭載されたフェラーリ初の直噴エンジン。年代が進み、エンジンがどんどん補器類やカバーの中に埋もれてゆくつれてエンジン上部の赤い面積が増えてゆきます。

排気量 4297cc
レイアウト V8 90°
最高出力 460HP @7750rpm

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ターボエンジン

V8とは別に展示されていた市販ターボエンジンの系譜。

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F106D(1982)

昔の日本同様、2000ccを境に税金が一気に高くなるイタリア市場向けに308GTB/Sの排気量を下げたモデル、208GTB/Sがフェラーリとしては余りにも非力だったので(155PS)それをターボ化したのが208ターボ。

排気量 1990cc
レイアウト V8 90°
最高出力 220HP @7000rpm

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外観は308とほぼ同じですが、ターボはリアに小さなNACAダクトが追加されています。

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Image: ferrari.com

40%もパワーアップするのですからターボの効能は絶大です。

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KKK製ターボチャージャー。

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F120A(1987)

ドッカンターボの集大成、F40様のエンジンであります。ギアボックスやインタークーラーと一緒にパワートレイン状態で展示されていました。

排気量 2936cc
レイアウト V8 90°
最高出力 478HP @7000rpm

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F154CB(2015)

488GTB/Sのエンジン。フェラーリも時代の趨勢でダウンサイズ、296GTBのV6がこのV8に取って代わるのでしょう。高い位置にターボチャージャーがマウントされており、搭載状態ではインマニとの間にインタークーラーが入ります。

排気量 3902cc
レイアウト V8 90°
最高出力 670HP @8000rpm

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ターボチャージャーは我らがIHI製。フェラーリがIHIを採用したのはF40からだった筈ですので長いお付き合いです。

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F154BE(2017)

同じ154系ですがFRのポルトフィーノは給排気系のレイアウトがかなり異なるのが興味深い。

排気量 3855cc
レイアウト V8 90°
最高出力 600HP @7500rpm

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ターボチャージャーは最近の乗用車トレンドっぽいレイアウトで、エキマニ(鋳物の一体物)直後に付いています。

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1~6気筒

単気筒のフェラーリ??と思いますが実験用のエンジンです。

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F93A単気筒プロトタイプ(1992)

翌年のF1エンジン(WikiによるとTipo 041)と同じボア・ストロークの単気筒プロトタイプ。これ単体をバイクに載せたらどんな感じでしょうね。

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252F1/2気筒プロトタイプ(1955)

2.5L時代のF1エンジンの検討用ユニット。設計は後にフィアットの直4長寿エンジンを設計したことでも知られるアウレリオ・ランプレディ。

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F134 2T/3気筒プロトタイプ(1994)

ロードカー用2サイクルV6エンジン検討用ユニット。フェラーリも色々と研究しているものだと感心します。

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F135A ”Double Crankshaft”(1994)

ダブル クランクシャフトなる謎のエンジン。

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V6と同じエンジン長でV12を...という目標の実験エンジンだったようです。

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検索したら出てきた特許申請用らしきイラスト。上下にクランクシャフトを置き、燃焼室を上下3×2のシリンダーで共有するというアイデアの模様。

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それらしくデザインされたカバーの意匠に単なる実験品ではない、この時の本気度を感じます。

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電動化時代

F140FE(2013)

LaFerrariのHY-KERSパワーユニット。跳馬も電動化の時代であります。

排気量 6262cc
レイアウト V12 65°
最高出力 963HP @9000rpm

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システム全体はマニエッティマレリですが、部分部分にデルファイやデルコといったアメリカ系も入っています。

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最後に

マラネロとモデナ、2つのミュージアムで数々の名車(中には迷車も)を堪能しましたが個人的に最も興味深く見たのがこのエンジン博物館でした。特にF1や試作エンジンはフェラーリ自身が運営するミュージアムならではの展示でした。


一連の記事を書きながらこの時のことやその場の空気感を思い出し、イタリアまで行った甲斐があったと改めて感じる次第です。

モデナの街にて

フェラーリ博物館記事


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【イタリア】フェラーリ博物館訪問記(6)モデナ・エンツォ・フェラーリ博物館

モデナ駅から徒歩10分程度の街中、エンツォ・フェラーリの生家があった場所に建てられた記念館的なミュージアム。常設の展示物はエンツォに関するものだけでなくエンジンやマセラティやデ・トマソなどの他社に関する展示など、資料価値の高そうなものも充実しています。

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やはりこちらでも、急逝したマルキオンネさんへの弔意として半旗が掲げられていました。

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エントランスホール

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エンツォの父アルフレードが乗っていた1903年のド・ディオン・ブートンの同型車。6歳のエンツォが初めて接した自動車という趣旨で展示されていました。当時モデナで自動車を持っていた人はごく僅かだったそうで、裕福な家庭だったことが伺えます。

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1951年に勝利を挙げたF1マシンのエンジンにスーパーチャージャーを追加したものを搭載したパワーボート。最高速度は242km/hに達した由。

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ボートでもフェラーリらしい雰囲気ですね。

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展示ホールにて

メインの展示ホールです。この時はROSSO & ROSAと題し、女性と関係のあるフェラーリの企画展をやっていましたが、展示車の中には「スイスの富豪で著名なコレクターの○○氏が妻の誕生日に贈った云々」といったものもあり、テーマ設定に少々無理があるんじゃないの?と感じた部分もありました。

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250GTO(1962)

訪れた際の目玉展示は250GTOと250LMでした。この250GTOはAnnie de Montaiguという元テニス選手のフランス人女性ドライバーが駆ったものだったそうですが、日本人からすると「誰?」ですね。

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それは兎も角、今の感覚では小柄なGTOですが力感溢れるフォルムの存在感には圧倒されます。

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超スパルタンなインテリア。

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覗き込むとリーフスプリングが見えます。

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250LM(1963)

写真では少々歪なフォルムにも見えるのに、実車だと均整が取れた美しさを感じるのが不思議なLM。

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昨年デビューした296GTBのデザイン、特にエアインテイクやリアの盛り上がりは250LMのオマージュですね。

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Image: ferrari.com


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166MM(1948)

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212 Inter Coupe(1951)

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375MM(1953)

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750 Monza(1954)

エンジンはV12ではなく直4です。排気量は750cc×4=3000cc。

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250GTB SWB(1959)

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250GT Cabliolet(1957)

フェラーリ初のオープンボディーのカタログモデル。それまでは顧客の求めに応じて製作するオーダーメイドでした。

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助手席側サンバイザーにミラーが付いているところに車のキャラクターを感じます。

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330GTC(1966)

4台だけ製作されたスペチアーレで、この個体はベルギー王妃のものだった由。

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400i(1979)

こちらはオランダ皇太子妃の愛車だった由。皇族がフェラーリに乗るというのは日本では考えられませんが、かの国の人達は逆に、平成の上皇さま一家の愛車が古いホンダ・インテグラだった(MTというのも渋い)と言われても信じ難いことでしょう。

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355GTS(1994)

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美しいシフトゲートだった時代です。

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Ferrari Four(2011)

通称”FF”ですが前輪駆動ではなく4WD。

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何台も所有していると、こういった変わったのも1台欲しくなるんでしょうね。

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La Ferrari(2013)

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458 Speciale(2014)

ごく少数製作されたスパイダーボディーでダナ・キャランも乗っていた由。

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488GTB (2015)

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映像”Grazie Enzo”

数十分毎にエンツォの生涯と功績を振り返るショートムービーがスクリーンに放映されます。BGMに流れるパヴァロッティー(モデナ出身)のテノールも相俟って心を動かされる内容でした。

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ラウダとの2ショット。

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やはり特別な存在のジル・ヴィルヌーヴ。

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著作権面でどうなのか分かりませんのでリンクを貼るのは控えますが、Youtubeで「muzeo enzo modena movie」といったキーワードで検索すると館内で撮った映像が出てきます。


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