見学順路の最後はレーシングメルセデス。世界のサーキットやレース名が書かれた経路を降りてゆきます。
モータースポーツにおけるメルセデス...シルバーアローの軌跡(2階)
マクラーレン MP4-13(1998)
先ずは私がファンだったハッキネンのチャンピオンマシン。V10エンジンの甲高い咆哮やシューマッハとのバチバチの死闘は忘れられません。
V10メルセデスF1エンジンは日本のバブル企業レイトンハウスの1991年マシンに積まれたイルモア(Ilmor)が起点で、マシンのチーフデザイナーは売り出し中のエイドリアン・ニューウェイでありました。
そのエイドリアン・ニューウェイがレイトンハウスを去って加入したのがマクラーレン。このMP4-13も開発途中からニューウェイが関与しています。
マクラーレン MP4-23(2008)
ハミルトン先輩がマッサと1ポイント差で初タイトルを獲得したマシン。
メルセデス F1 W05ハイブリッド(2014)
この時代のノーズは醜い。初めて見た時は絶句しました。
それにしても近年のF1は超絶に複雑な形状で、ディテールは芸術的です。
サウバー・メルセデス C9(1989)
1989年ル・マン24時間レースの優勝車。当時ジャガーを応援していた私にはヒール的な存在で、シルバーの車体が不気味に見えたものです。
サウバー・メルセデス C11(1990~1991)
1991年、SWCでは9戦中8勝を挙げたもののルマンでは伏兵マツダ787が優勝。日本のファンが痺れた年でした。改めてリザルトを見ると2~4位はジャガー、5位がメルセデス、トップ10にはポルシェ962Cも入っているという群雄割拠の時代でありました。
500SLC(1980)
トランスミッションは市販仕様の4AT、パワステ付きで(エアコンも残されていたと読んだ記憶があります)WRCに参戦。'79年のサファリでは2位、’80年最終戦コートジボワールでは1・2フィニッシュを決めたSLC。
300SE Rally(1963)
こんな展示もありました。アルゼンチンの公道レース(距離が4779kmというのが凄い)で優勝した300SE。
W196 ストリームライン(1954)
ラリーからサーキットのシルバーアローに戻ります。
タイヤも流線型のボディーに覆われていますがF1マシンです。空力メリットより視界や整備性のデメリットの方が大きいことが参戦直後に判明、次のレースから下のオープンホイールが投入されます。
W196 オープンホイール(1954)
そして急遽作られたW196オープンホイール。それ以降はサーキットによって使い分けられました...って大らかな時代だな。ファンジオのタイトル5回中2回はW196での獲得でした。
300SLR(1955)
スターリング・モスが1955年のミッレミリアで優勝したものの、この年のル・マンで80人以上の観客が死亡する大事故の結果メルセデスはその後30年間レース活動を休止。もしこの事故が無ければモータースポーツの歴史は大きく異なっていたことでしょう。
300SL プロトタイプ”Carrera Panamericana Mexico”(1952)
ガルウィングSLの原型ですね。縦ルーバーのフロントグリルは今のメルセデスAMGがモチーフにしています。
DTMと戦前のシルバーアロー
すみません、個人的にこの分野はそれほど興味が無いので写真のみです。右下、1900年代のダイムラーなんかはどんなドラテクを駆使していたのでしょうね。
長々と続けているメルセデスベンツ博物館編、次回が最後です。