去る3月20日、F1チーム、ジョーダンGP創設者エディ・ジョーダンが76歳で亡くなりました。ジョーダンGP初年度の1991年は私もほぼ毎戦フジTVで中継を見ていたので、新興チームらしからぬ活躍やシューマッハの鮮烈なデビューは記憶に残っており、その後も個人的に好きなチームの一つでした。
これを機に、今回は私が各地の博物館で見たジョーダンGPのF1マシンを振り返ります。
- Jordan 191(1991年)/ジンスハイム自動車・技術博物館(ドイツ)
- Jordan 192(1992年)/ヤマハ・コミュニケーションプラザ(静岡県)
- Jordan 196(1996年)/フランス国立自動車博物館
- Jordan EJ11(2001年)/ブルックランズ博物館(イギリス)
- Jordan EJ12(2002年)/ホッケンハイム・モータースポーツ博物館(ドイツ)
- Jordan EJ14(2004年)/ドニントンGPコレクション(イギリス)
- 最後に
Jordan 191(1991年)/ジンスハイム自動車・技術博物館(ドイツ)
”史上最も美しいF1マシンの一つ”とも言われますが、実車を見ると頷けます。
初年度から7UP、富士フイルムといったアイリッシュグリーンと調和するカラー、且つ、そこそこビッグなスポンサーを獲得したことにエディの辣腕を感じます。私はアライ派でしたがSHOEIがスポンサリングしていたことも日本人としては応援したくなる要素でした。
サイドポンツーンのラインも実に美しい。
前年のティレル019ほどではないものの、アンヘドラルノーズが導入されています。
ドイツの博物館なので展示車にはシューマッハの名前が入っています。ベルギーGPの1戦しか乗らずベネトンに契約を持って行かれたんですが。
その他フォーミュラの展示も充実しています。


ドイツのチームということで、カッコいいけど成績は散々だったザクスピード・ヤマハも展示されていました。
この他のフォーミュラカーでは、マンセルが初年度でチャンピオンを獲得したマシンを見れたのも嬉しかった。
コンコルドと、ソ連版”コンコルドスキー”Tu-144が屋根上に展示されていることで知られるジンスハイム博物館。
航空機やミリタリーにクラシックカーなどの展示も盛り沢山で、一日あっても足りない程でした。






Jordan 192(1992年)/ヤマハ・コミュニケーションプラザ(静岡県)
続いては日本で見れるジョーダンのマシン。磐田市のヤマハ本社コミュニケーションプラザにジョーダン・ヤマハ192が展示されています。
本社ショールーム+αというレベルではなく立派なミュージアムと言える規模。


前年フォードHB・V8エンジンで好成績だったジョーダンにヤマハV12が載るということで期待したものでした。
マシンバランスや信頼性の問題で成績は期待外れでしたが、前年の191から受け継いだスタイリッシュさは健在。
説明文の「上位進出をめざした」はよく考えたコメントですね。
勿論、2輪の展示は非常に見応えがあります。




ゴールドの2000GTとレクサスLFA。
Jordan 196(1996年)/フランス国立自動車博物館
フランス東部アルザスの都市、ミュルーズで紡績王シュルンプ兄弟が収集したコレクションを発展させた展示。フランスということでブガッティのコレクションは圧巻でした。








競技系のゾーン。


ルノーやプジョーエンジンを搭載したF1の一つとして1996年のジョーダン・プジョー196が展示されていました。
手前のエンジンと柱で写真は撮り辛かったのですが。
エンジン単体を観察できたのは収穫でした。
尚、前出のジンスハイムにも196が展示されています。
スポンサーのBenson & Hedgesは、この後2005年まで10年間スポンサーを続けます。
特徴的な2段式のエアインテイク。
Jordan EJ11(2001年)/ブルックランズ博物館(イギリス)
エンジンは前年の無限に代わってホンダワークスにスイッチ。テストでは好調だったもののチーム内のゴタゴタもあってリタイヤも多く表彰台無し、期待外れに終わったシーズンでした。シャークマウスかっこ良かったんだけどな。
Benson & Hedgesのカラーは、最初の黄土色が不評でゴールドに、その後のイエローはどこかのタイミングで彩度が上がった(というか蛍光)ように見えます。
1979年のウルフWR7や、セナが乗ったマクラーレンMP4/6も展示されていました。
このブルックランズにはコンコルドを見に行ったのですが、実際のシートに座っての疑似搭乗体験やシミュレーターの見学などもできたのは貴重な経験でした。
ここブルックランズは1907年に世界初のレースサーキットが開かれた場所で、往時のバンクが保存されています。




Jordan EJ12(2002年)/ホッケンハイム・モータースポーツ博物館(ドイツ)
佐藤琢磨がF1デビューを飾り、最終戦の鈴鹿で5位入賞を果たしたマシン。神経質な特性にチームメイトのフィジケラ共々苦労したようですね。
展示車はタイプR市販車用っぽいHエンブレムが貼られていたりスポンサーロゴも一部割愛されていてホンモノ感はイマイチでした。
ミュージアムはホッケンハイムリンクの敷地にあってサーキットのスタンドに入ることができました。


規模はそれほど大きくないものの少々ヒネリの効いたマシンの展示もあり、訪れた甲斐がありました。


ベルガーがF1デビューした際のATS。
”皇帝”シューマッハF3時代のマシン。
個人的にツボだったのがロス・ブラウン設計のアロウズ・メガトロンA10。
ロリー・バーン設計の1988年ベネトン・フォード。
偶々かも知れませんが、フェラーリ黄金時代を築いたシューマッハ、ブラウン、バーンが絡むマシンが展示されているということになります。
台数は2輪の方が格段に多く、エルフ・ホンダやRC45のカットモデルも展示されていました。




Jordan EJ14(2004年)/ドニントンGPコレクション(イギリス)
この翌年2005年、エディはチームを売却します。エンジンは3.0LコスワースV10。
タバコ広告規制に対応してBENSON & HEDGESとなっているのが洒落が効いています。
トヨタF1やBARホンダと並んで展示されていました。
博物館は、セナが雨の中で怒涛の追い抜きで優勝した93年ヨーロッパGPが開催されたドニントンパークのサーキットに隣接しています。


特にマクラーレンとウィリアムズのラインナップが充実しており、歴代マシンがずらりと並びます。
ジョーダンからの流れを汲むフォースインディア。
最後に
エディさんの訃報はモータースポーツ以外のメディアでも多く伝えられ、色々あったものの大きな足跡を残した人物だと改めて感じます。
特にこの追悼記事の”ジョーダンは、彼にお金を貸していると主張する多くの人々に追い回されており、そのほとんどが事実だったが、彼に対して長く怒り続けることができる者はいなかった。”のくだりはエディさんの人柄をよく物語っていると思います。
R.I.P.