ミッドシップになった新しいコルベット、これ良いですねえ。クルマ好き的視点からはGM車はやや過少評価されているような気がします。確かにアメリカ最大、即ち世界最大・最強の自動車メーカー(だった)という地位に安住して数々の駄目グルマを作ってきたことも事実ですが1950年代から独自の世界観がブレることなくコルベットのようなクルマを作り続けてきたというのは称賛に値します。
GMには良いクルマがあるのだと私が感じた一台が2007年のアメリカ出張で乗ったシボレー・インパラ。シカゴからテネシー州ノックスビルまでの約900マイル(≒約1450km)を10日間ドライブした時のレンタカーでした。
英語版Wikipediaなども参考にスペックを纏めるとこんな感じ。トヨタだとアバロンに匹敵するクラスですね。エンジンがOHVというのが泣かせます。
エンジン | V6 OHV |
排気量 | 3,880cc |
最大出力/トルク | 233hp/325Nm |
駆動方式 | FF |
変速機 | 6AT |
全長 | 5,115mm |
全幅 | 1,854mm |
全高 | 1,496mm |
ホイールベース | 2,837mm |
車両重量 | 1,707kg |
インパラという名前には昔の派手なテールフィンの印象があったので、何だか無難で退屈そうな車というのが第一印象でした。
シカゴ・オヘア空港のハーツで借りて取引先を訪問しながらデトロイト、オハイオ、ケンタッキーを移動、最後はテネシー州東部のノックスビル空港で返却するというルートでした。
この時ルートは半分以上がミシガンからフロリダまでアメリカ中西部を縦断するI-75号線で制限速度は概ね70マイル(≒113km/h)。感覚的にはそれプラス10キロ程度で流れていました。こういった状況でインパラは最良の供でした。
自動車産業の集積地を抜けるI-75。トラックのラダーフレームを運ぶトレーラー。
平凡なデザインながら作りの良いインパネ。アメ車の内装は大雑把なのが相場だったので意外でした。助手席前には控えめなインパラのモールが付いています。アメ車のエンブレムやモールはセンスが良いものが多い気がします。
オハイオ川に架かる橋を越えるとケンタッキー州。
都市を抜ける部分以外では、スピードはクルコン任せ、ハンドルに手を添えているだけで運転しているというよりクルマの作動を見守る「監視員」状態。コーヒーをがぶ飲みしたり歌を歌ったりして睡魔と闘います。
とにかく印象的だったのが乗り心地の良さ。フワフワした揺れは抑えながらも路面からのショックは完璧に遮断する感覚はまるでジャガーXJ。舗装がボロボロのミシガン州でも快適でした。直進性も申し分ありません。
ハンドリングも中々のもので、テネシーでは50キロ以下に減速する中速コーナーが続くようなアパラチア山脈の山越えルートもありましたが、思った通りにクルマの鼻先が向かってくれたのが印象的でした。
US-25のトンネルを越えるとテネシー州。この近くにKFC創業の地があります。
南北戦争の古戦場跡。
世界恐慌後の経済振興策でTVA(Tennessee Valley Authority/テネシー川流域開発公社)って世界史や公民の授業で習いましたよね。あれがこのテネシー州東部エリアです。
ここまで良いことばかり書きましたが、エアコンは素晴らしく効くものの内気循環にすると途端にムワ~ッと湿っぽくなるのには閉口しました。
頭から突っ込んで停めるのがアメリカ式。ヘッドライトは常時点灯式。
データは残っていませんが、3.9LのV6ながら燃費はかなり良かったと記憶しています。このモデル、エンジンは気筒休止式で低負荷ではV6の片バンクを止めます。インパネの表示を見ていると70マイル+αのクルーズだと大体は3気筒になっていました。気筒休止の切り替えショックが皆無なことにも関心しました。
クルマだけでなく私のメシについても。
厚切りのローストビーフ、プライムリブステーキ。実に旨い。
実はアメリカ人は海老が好き。
それほど旨くはないけどビジュアルが楽しいオニオンリング。
テネシー州ノックスビル空港にて。ちょっとしんみりした気分でインパラを返します。レンタカー会社のおばさんは端末を確認しながら「あなた、シカゴから乗ってきたの!?」とびっくりしていました。アメリカでもこんなロングドライブをする人は珍しいようです。
帰路、ノックスビルからシカゴまで約2時間のフライト。
帰りもANAのシカゴ・成田便。
帰国して当時の愛車、2代目レガシーに乗ったら異常に助手席が近く感じてインパラのデカさ、そしてそれを意識させないアメリカの広さを再認識しました。
「あの時あそこで食べた○○が矢鱈と旨かった!」ってありますよね。「あの時のインパラ」は今でも印象に残る一台であります。